こんにちは、彦どんです
今朝、ぼんやりツイッターを眺めていた時、ある方のツイートが目に留まりました
詳細は割愛しますが「歳をとり人生も後半戦に入ったら、他人の目を気にしてやりたいことややるべきことをやらないのは、リスクでしかない」といった趣旨のツイートでした
短いツイートでこの方の真意を全て推し量ることはできませんが、このツイートを見て久しぶりに私の中で色々な思いがこみ上げてきました
思い返すと、私が脱サラしセミリタイアを決意した一番の理由が、正にこう言う思いが強くなったからでした
過去の記事でも書いてきましたが、サラリーマンをやっていて一番イヤだったと言うか辛かったのが、自分の時間を会社に切り売りしている感覚でした
若い頃、時間は無尽蔵にあり、ひょっとして人生は無限に続くのではないか・・・そんな錯覚に囚われていました
なので、お金と引き換えに自分の時間を切り売りするサラリーマンという生き方に何の疑問も持っておらず、毎日毎日10時間以上、平気で自分の時間を会社に献上していました
雨の日も、風の日も、文句言わず、満員電車に揺られ、冷たいコンクリートのビルの中で何時間も過ごし、自分の意思とは無関係にただただ言われた通りに自身の時間と労働力を提供する
1日24時間の大半の時間をそうやってお金と交換し、残りの僅かな時間で自分のやりたいことを細々とやる
大切な人生において、主役は「仕事」・・・何て言い方は一見、かっこいいですが、そんな言葉は実はウソで、、
本当は、大切な人生の大半の時間を単に他人に売り渡して、生きながらえていただけなのかもしれません。。
それでも、若い頃は、まだまだ人生には時間があり、やりたいこと、やるべきことをやる時間は、先に残されていると錯覚していたと思います
でも、アラフィフ、この歳になると、もう人生において時間はあまり残されていないことに、はたと気が付くものですよね
あれれ・・・?
もしかして、俺の人生もそろそろ終わりに近づいている??
祖父は早死にだったけど、、俺に残された時間は後、どれぐらいなんだろうか・・・?
あれれ・・・?
俺の人生って、こんなんで良かったんだっけ・・・???
やりたかったあんなことやこんなこと、、、まだやっていないあんなことやこんなこと、、、
早くやっとかないとーーーー、、、いつ死ぬかわからないんだし、今直ぐにでもやっておかないとーーーー、、、
時間が物凄く大切に感じられ、1秒でも無駄にはしたくない、、そんな気持ちでいっぱいになります。。
なので・・・
背広を来て、ネクタイをしめ、駅へイソイソと向かい、満員電車に1時間も揺られ
嬉しいこと楽しいこと何て、滅多に起きない
基本的には朝から晩まで苦しみや苛立ちの連続しか待っていない会社と言う苦役の場所に更に何時間も拘束され
やっとのことで、苦役の数時間から解放された後は、また1時間の密密電車タイム。。
そして、帰宅してもまだ自由は許されない…
突発的なトラブルなどが発生した場合は、深夜でも休日でも、お構いなしにリモートワークを強要されますし
何らかの理由で、早朝出勤(もちろん帰宅時間はいつも通り22時頃…)を指示されたり、突発的な残業で更なる長時間労働を余儀なくされ、残された僅かな時間も絞り取られるかもしれません
アラフィフになり、人生において残された時間が後わずかしかないことに気が付いたその瞬間から、サラリーマンと言う自分を切り売りする生き方、もう続けることが出来なくなりました。。
先のことなんて、わかりません
今ある資産が尽きて、生活が立ち行かなくなる可能性だってゼロではありません
ただ息をして、寝て、食べて、命を生きながらえるためだけであれば、サラリーマンと言う生き方を続けていた方が良かったのかもしれません
でも、そんなのは「生きている」とは言えないのではないでしょうか・・・?
そんな日々は「生きている」のではなく、ただ「死んでいない」だけ
「生きている」のではなく、搾り取るために「生かされている」だけ
そんな生き方って、やっぱり家畜と一緒なんじゃないかなぁ・・・
いや、別に家畜という生き方が悪いとは言いませんが・・・w
私も今年で49歳です
これまで人生の大半の時間をお金と引き換えに、他人に売り渡して生きながらえてきました
でも今、私の人生財布の中を見てみると、いくばくかのお金は入っているものの、時間はもうほとんど入っていないことに気が付いちゃいました、、
もうお金のために時間を切り売りする余裕、私にはありません
もしお金が必要になっても、時間を切り売りしないでお金を得る方法を死に物狂いで模索するしかありません
他人に差し出すことができる時間なんて、もうほとんど残っていないのですから。。
たぶん私の人生において、時間を切り売りしてお金を得ると言うフェーズは、とっくに終わったんだと思います
ではでは
コメント